昭和21年 岡山県津山市(疎開先)に生まれる。生後3か月目に家族と共に上京する
昭和28年 台東区立谷中小学校入学。絵画コンクールに出品した「友人(木版画)」が、最優秀賞に選ばれ知事賞を受ける
昭和37年 駒込高等学校入学。絵の道を志す
昭和44年 4浪の後、東京芸術大学美術学部デザイン科入学。 後の夫人・渡辺容子と出会う
昭和47年 結婚。卒業制作「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」10点連作が大学買い上げとなる
昭和48年 電通に就職。デザイナーとして菓子箱や雑誌広告などのを手がけつつ個展開催
昭和49年 箕浦昇一と本格的な二人展を開催。「曙光」「運動する人」などを出品
昭和50年 谷中の実家近くに初めて自分のアトリエを持つ
昭和51年 電通を退社。芸大の非常勤講師に
昭和53年 『花降る日』で安井賞特別賞
昭和56年 『室内楽』で安井賞
昭和58年 長男誕生
昭和59年 第一回日本青年画家展が日本橋三越で開かれ「7つの音」を出品。優秀賞を受賞
昭和60年 臓癌で逝去。享年38歳